宝塚のオタクが出来上がるまで

今でこそ頭がおかしいぐらい傾倒している宝塚ですが、オタクになったきっかけが正気じゃないのでここで振り返りながら発表します。バカだなーと思ってもらえたら嬉しいです。

 

中学三年生の私は厨二病腐女子をこじらせている真っ最中でした。将来の夢はラノベ作家で、人とは違う何かを知っていることが一番優れていることだと思っていました。
厨二病の症状でよく言われるのが「洋楽を聴き、J-POPをバカにする」などでしたが、私の周りには音楽のオタクが多く、洋楽を聴くことはマイノリティではありませんでした。ニワカ知識で参入しても返り討ちに遭うだけだとさすがに分かります。そんな折、本屋をうろついていたときに目に入ったのが、「宝塚GRAPH」です。

 

この時私が考えたことがこちらです。

・宝塚のファンって今までに一度も見たことがない→めちゃくちゃマニアックな趣味だ!
・マニアックな趣味ならニワカでもバレない!
・多分裕福なマダム向けのコンテンツだから若い私がファンを名乗ったらちやほやされるかもしれない!
・すごく高尚な趣味の予感!!!!!

バカです(笑)


身近にファンがいなかったのは名古屋だからですが、中日劇場もあるしキャトルレーヴもあるし(どちらも今は無くなりましたが)、ファンが居ないはずは無いんですよね。

そんなわけで宝塚ファンを名乗ることを始めた私ですが、主な活動は過去の宝塚GRAPH、歌劇、公演プログラムや組本をブックオフで立ち読みしては主要なスターの顔と名前を覚えること。ニコニコ動画で動いている状態のスターの顔をスチール写真と一致させること、などでした。今思えば完全に違法動画ですが、現在は必要以上に円盤を買い揃えるオタクですのでお許しください。テニミュの空耳が流行っていた時期です……


スターの名前は芸名より愛称で呼ぶほうがオタレベルが高いこと、「この人とこの人が同期」みたいなのは最低限必要な知識であること、などなど、「詳しい人」と思われるために必死でした。ニコニコの良かったところはリアルタイムコメントで、愛称が複数ある場合でも、そのスターがアップになったタイミングのコメントを追えばその人がどう呼ばれているか一目瞭然だったところです。

 

この頃宝塚界隈では思いがけない動きがありました。AQUA5の活動です。本屋に置いてある雑誌でしか見ることの無かった人たちがテレビに出るようになり、ろくに知りもしないくせに「メジャーになった感」を味わうことになりました。同級生もこれを見ているかもしれない。私より詳しいファンになったらどうしよう。そんな不安がつきまとい、慌ててCDを買ってAQUA5のメンバーの顔と名前と愛称を全部覚えました。
テレビをチェックしてはモバゲーで「○○ちゃん世界一かっこいいー^^」などの日記を書き、着実に「何も知らないニワカオタク」は重症化していました。なお、ここまで生観劇どころかDVDの観劇もゼロです。バカすぎる。

 

AQUA5のメディア露出が落ち着いた頃、転機になる事件が起こります。それが情熱大陸でした。2009年月エリザに合わせた放送でしたが、ここで稽古場映像がガンガン流れます。もともとオペラやミュージカルは好きな方だったので、今まで私が聴いてきた曲とはぜんぜん違う、壮大でドラマティックな音楽に完全に心を掴まれました。あと瀬奈さんの顔がめちゃくちゃ好きだったのもあり、ここでようやく「ファンとしての入り口」に立ちました。多分本屋でグラフを見つけてから三年ぐらいかかりました。
当時はもう高校生だったのでバイトをしていて金銭的には余裕があり、ここからDVDを買いあさり始めます。エリザベートは初回限定盤記念ボックスみたいなのを買い、ミーマイ、アーネストを買い、このあたりでスカイステージに入りました。携帯の待ち受けは瀬奈さんになりました。


遠征観劇は高校を卒業してからにしようと思っていたので、同年の瀬奈さんの退団公演は観劇できず、その後悔はその後しばらく引きずることになります。
代わりにエリザベートを鬼リピし、主要キャストの中で瀬奈さんと同じぐらい好きな人に出会いました。その後、私の初めての「贔屓」となる人です。

 

ところで私は重度のオタクだったので、「情報収集は2chで」が常識でした。お陰で普通に調べるだけでは分からない非公式のFCのことやお金の使い方などの情報に触れるのが早かったと思います。今でもこの立ち回りは賢かったなと自画自賛しています。

高校三年の冬、中日劇場公演は代替わりした月組のプレお披露目公演の「紫子/HOB」でした。地元の公演なので土曜日に観に行きました。うっかりぴあでチケットを買えてしまったので、勢いでその翌日のハムレットを観るために東京に飛びました。自分ひとりで新幹線の切符を買って出かけたのはこれが初めてだった気がします。遠征して観劇するのはテニミュドリライで友達と一緒に神戸に行って以来二度目でした。

 

春、また一人で新幹線に乗り、地図を見ながら初めて宝塚大劇場に行きました。その年の秋には前述の方の会に入会しました。周りに先輩オタが一人もいない環境でよくここまでやったなと思いますが、完全エアプだった私がオタになるまでの話はここまでです。ずいぶんレアケースだとは思いますが、茶の間スタートのニワカがこうなることもあるんだぞ、という思い出話でした。